[DoLの魅力研究8] フリーゲームの文化的役割


DoLを見ていると、フリーゲームが何のために世の中にあるか?
という社会的使命が示されいるような気がします。社会的使命と言うと
大袈裟に聞こえますが、誰にも楽しんでもらえないソフトでは意味がありません。

ここで言う社会的使命とは「みんなを楽しませる為のヤリ方」の事です。

(1)フリーゲームの作家の皆さんは戦略性を高めるためのシステム開発や、
バランス調整に専念して欲しい。絵も上手いに越した事はないけれど、
何でもかんでも一人でやらない方がトクな場合もある。

(2)CPUの思考ルーチンをコテコテにする必要はない。高度であれば、
それに越した事は無いけれど、ネットワークゲームの場合、それほど重要ではない。
大切なのはユーザーとの交流。

(3)小さなバージョン・アップをこまめに繰り返すと、ヘビー・ユーザーが育つ。

(4)レア・アイテム集めは単純作業になり勝ちだけど、ヒマ潰しのためには有った方が良い。

(5)過剰なネタバレ規制はNG。むしろ関連サイトの管理人達を味方に付けるのが賢い。

(6)場合によっては、短期挫折者が出るくらいの、コダワリの難度になっている方が、
やり込み要素は高い。多数派のミーハープレーヤーに、必ずしも媚びる必要が無い
フリーゲームの強みを、積極的に活かすと面白いゲームになる。

「やり込み性重視」のプレーヤーから見て有り難いフリーゲームの作者像は、
こんな風にマトメられると思います。

ゲームは本来「対話型の映画」とは違います。ボタンだけ押し続ければ、
経験値に見合ったイベントを見られる事が約束されていて、
派手な映像と音響で強制的に感動させてくれる・・・。
大量販売を宿命付けられた市販ゲームは、どうしても、こういう方向に走り勝ちです。

それはそれで構いませんが、その逆の嗜好も満足させてくれるのが、
フリーゲームの役割であり、存在価値です。発展しているフリーゲームは、
いずれの場合も、この事を充分理解した作者とプレーヤーが、
力を合わせて盛り上げる構図が出来上がっていると思います。