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2006/12/23

 昨日ここに綴りました事の続きになりますが、私自身は、周囲に集まってこられた私が輪と呼んでいる彼女ら彼らの事には触れたいわけではありません、
ただ、こういった経緯があった事を明かしておかねば、今後一体どのような事が起きるか予測はつきませんが、
私の身に万が一何かが起こるならば、輪の彼女ら彼らが関連してくるしている可能性はこれまでのように否めない、そう判断しているからです。

もしお時間がありますれば、この日記サイトの17ページをご覧頂きたいのですが、輪の彼女ら彼らは、外部や輪の内部にて、得た情報なりなんなりを漏らすような形で広めていた様子ですので、
彼女らの存在に気づき、自ら進んで接触をされていった方々も含まれているに違いありません。
要するに、これは輪が膨張していった様子そのものであり、なんら疑う余地のない自然な事なのですが。

しかしそうやって輪に加わっていったその中には、私が日記サイトや原稿の楽屋裏サイトなどで漏らしてきましたように、
盗作をされたであろう作家達が紛れ込んでいる可能性が濃厚であると判断をしています。
そしてそれは、匿名性の強いネットならではの自然な事なのでしょう。

さて、これより本題ですが、私は、私の文章を盗作をされた彼ら彼女らを指して、誰々さんが私の文章を盗作をしたのだとは明かさないつもりでいると公言はしてきました、
もちろんこれは思慮ある方ならその理由は既に察しておられるとは思います。
決して私自身が、誰々にこの部分を盗作されただとか、その指摘をしてはよろしくないのです。
私の文章を盗作した本人たちにしてみれば、たとえどれだけ明白明確にその盗作がバレようとも、
世間の目を気にして次にとられる行動は、私の方こそが盗作ではないのかと逃げ口上をされるであろう事は想像にかたくありませんし、
それらのポーズを固持するがために、盗作をされている側である私を逆に訴える行動に出られるかもしれません。
このような事が予測の範疇ではありますが、可能性はないわけではありませんし、もしその予測通りの事になれば、
盗作をされた側の私としては正に踏んだり蹴ったりとなりかねません。

ですから、「誰々さんに私の文章を盗作された」とは名指しができない状況なのです。
ですが、私は、自分のこれまでの日記、楽屋裏ページ、原稿、これらの中で盗作をされた箇所を明示してゆく事までもしないとは言いません。
しかし、危惧している事があります、名指しをせずであろうとなんであろうと、盗作者に都合の悪い行動を私が取るならば、
私の身になにかよからぬ事が起きる可能性は当然ながら高まるであろうと。 (直接であれ、間接であれ、場合によっては輪に集う人たちが利用されるやもしれません。)
なら、これまであったネット上の片隅で起きたような私が輪と呼ぶ無軌道な集団、そしてそこで起きた瑣末な事も含め、明かしておいた方が後々役に立つであろうと判断したわけです。

さて、話は脱線しますが、私たちの住む世界は、意外にも狭かったりするもので、
盗作をされているとおぼしき女性歌手と私が輪と呼ぶ中におられる女優とは親しい間柄であるようですし(w
意外な所であちこちと接点があったりするようです。

この女性歌手の場合は、おっと、もちろん誰々が盗作した歌手なのですと名指しはしませんが、
盗作なのかモチーフどまりなのか、具体的な白黒はつけ難い部分があります、
しかし、彼女が周囲に集まった助力者たちに公言していた事は、
今で言う昔の日記サイトの、コアな方たちだけがこっそり見つけて読みにこられればよいとしてUPをした隠しページの、
http://cgi.osk.3web.ne.jp/~lovenet/p/t1003.html (メニューにないだけで連番ページなわけですから半隠しページといってもいいのですが。)
この中で私が唱えていたものと同一なんですね。
彼女が参照にし、さも自分の思想の如く振舞われるのは、助力者たちの関心を買いたいが為であろう事は容易に察しています。
なぜなら、行動なり言動といったものには、必ず動機があるからです。
無論、彼女自身が独白していますように、自身の生い立ちが貧しく苦しかった部分もあり、私のその時の文に共鳴をしてくださったであろう事は承知しておりますが。
そしてもし、この方が t1003.html の私の文を日常で口にせずにいたのなら、
それ以降の肝心な、彼女がしでかした盗作を私は気づけなかったに違いありません。
彼女は、t1003.html この時の私の私的な告白文を参考に歌詞を書かれています。

残念ながら、盗作をしたと思われる具体的な単語や、彼女がさも独自の考えのように公言をされて振る廻られている私の文章はここで明かすわけにはいきませんが。
もちろん彼女は私の 昔の日記サイト を読まれているわけですから、現行のこの日記サイトも読まれておられるでしょうね。
今これをみつけて読み、きっとドキドキされてるかもしれませんね。
そしてそのドキドキは、正しい。

注、 t1003.html の中にあります黒っぽい掲示板とは、輪に集まった女性のサイトに当時ありましたダークな掲示板の事で、現在その掲示板はありません。



さて、歌手はこのへんにして、次は作家に移りましょうか、

ここから先は、男女複数いるようですが、性別は控えておこうかと思います。

まずは、盗作と言えども、つい魔がさして軽くやってしまわれたのだろうと私の目には映る方。
もっとも、どれだけの量を盗作されているのかは私もすべて確認したわけではありません、
書店の傍を通りかかった時に、妙に引き付けられるその書籍を開いてみたらそうだった、そんな形での発見ばかりでして、
大抵はその場で怒りを抑えようとその方の他の著書が目の前にあってももう開きもせずまま終わらせてきたからなんですが。
なので私は、この方の盗作部分は未だ1箇所しか確認をしておりません。 まあ1箇所出てきたのなら、探せばもっと出てくるかもしれませんが。
この方は、これまでのご自分の専門分野ではなく、本来なら畑違いな「因果の法則」に関する書籍を2004年に出された。
(私の原稿は2003年6月にほぼ完成し、広くサイト上でどなたでもお読み頂いてきております。)


私の原稿サイトの楽屋裏ページとして「したごころ」なるページがありますが、
http://www.osk.3web.ne.jp/~lovenet/love/sitagokoro/
ここの2ページ目に私はこんな事を書きました、

  >正見の正体はこれなんだよ、と私が言い得ても問題が残る、
  >正見は知ってオシマイではなく行うものだからです。 それは愛は知ってオシマイでなく行うものだから。

私は長らく、カルマの法則、和名で言う所の因果法則に関する原稿を書き続け、サイト上でそのほとんどを公開し続けているわけですが、
この私の文を読まれた後に因果の法則に関するものを急にお書きになられるようになられた方が何人かおられる。
まずこの方の場合は、 その著書の中で、「知っただけではダメ、行わなければいけない」
かような事を綴られておられる。 (もちろんこの方は一般論としてだという逃げ口上は用意されている事でしょう)
これが故意的な盗作なのか、データ元としての私の文をついうっかりで書き綴ってしまわれたのか、
そのあたりの確信度の深さは私にはわかりません。
ですが、たったひとつのこの箇所の盗作を見つけただけで、私はこの時、私がこれまで書き続け、長らくどなたでも読めるようにしてきた原稿は、
モノを書かれる方々にとって、あまりに魅力的なテーマのものなのだろうと理解をしたのです。
無論、同じ分野で書くのであれば、私の文を参照にして書かれるのならばそれは盗作になってしまう。
もし因果という分野に興味があって、ご自身でもお書きになられたいのであれば、ご自身で思索なり実体験なりされてオリジナルでお書きになられればよいはず。

もうお一方は、私が原稿に綴りました利己利他4分類を縮小した形で盗作をされた方。
さらに別の方では、その方はお金に関する著書において私の文を多少苦しい形ながらもアレンジして盗作をされた方。


なぜこうも盗作される方々が絶えないのか、今これを読まれている方は不思議に思うかもしれません。
私もそれがなぜなのか、しばらくは不思議で仕方なかったんですよ。
ですが、私が書き上げてUPしてきました原稿にしろ、原稿の下書きとして日記や楽屋裏サイトなどあちこちで書き綴ってきたその内容は、
まさしくモノカキであるならさも自分の物のように振舞ってでも使いたい作家としては魅力に溢れたものなんでしょうね。
まあこのあたりの、作家やモノカキ、人に何かを伝える教えるという立場におられる方々が私の文章をさも自分のモノのように振舞ってでも使いたがる位の魅力あるものなのかは、
今これを読まれているあなたに判断をお任せしますが。

さて、次の方は、盗作が常習の方。
私の文章のあちこちから盗作をされておられるばかりか、他所の文章からも盗作をされてるようで、その出版グループに叩かれておられるようです。





http://cgi.osk.3web.ne.jp/~lovenet/1/index2.html
このアドレスは、今で言う私の 大昔の日記サイト なんですが、
この中には うおとリアルはざま日記なる、今現在の日記サイトの走りとなるものがあります。
当時は、まあ今もそうなんですが、本宅サイトのリンクコーナーの隅に入り口を置いており、読みにこられる方は少数だろうとたかをくくり、
奔放に好き勝手な散文日記なり原稿の下書きなりを思うままに綴っていた場所でありました。
その中でも、2001/2/16の長文日記の中には、原稿の下書きとなる部分があります。 (7ページ目にあります。)

ここ最近、1月2月はUOにあんまりログインしておりませんです
ギルド専属GMトレハンターとしては皆の前に顔出さないでいるのが心苦しいっす。
ログインしないそのかわりと言っちゃなんですがビデオをレンタルしてきてぼーとしながら観てすごしていま。
最近観たのは三上博史主演の「宮澤賢治」 これ、宮澤賢治っていうとこの隠れ家の隠蔽に使っている青森挽歌書いたつーお人。
好きなんだよね、青森挽歌。 本編そのものはあんなに短くなくて結構長いっす。
んでま、ビデオ屋で「宮澤賢治」はっけん! パッケージを手に取る、 すみずみ読む! おおお! かっくいい人生ぽいので速攻借りてしまいましたん。
家帰って即観る、宮澤賢治って禁欲生活してたのねん、しらなかった。
なんかさ、今の自分にマジだぶる。
労働と
思索と
性欲。
このうち3番目を捨ててる・・・
すっげえ!
しかもおもいきし悩んでる・・・
 「たまらなくなると野原にでて走るんだ! それでいいいべや」
この気持ち、すっごくわかる・・・
あちしね、男の恋愛講座かきはじめたと同時に禁欲はじめたんす
まる5年になりま。
それまでの人生はナンパし放題しまくりでした
新宿から電車で10分の所に借りてるワンルーム、誘えばついてきちゃう・・・
味しめちゃうと人ってだめやね
ぬけらんなくなる
女に声かけるのも当時はへっちゃら
ホストやってて毎日キャッチを楽しんでたっすからね
当時ね、おとことおんなってさ、まずなによりも性欲なんだなってつくづく思った、
ほれたはれたって感情はいつもおたがいあとからつけてる・・・
禁欲にはいれたのもさ、まあきっとそういうの嫌気さしたんだろうな
いまさ、実をいうとまたまた転げ落ちそうなんだけどさ、
じっさいは気持ち悪くて仕方ない
人に触れるのが気持ち悪いんだよ
その気のある女見分けて、女に触れて、抱き合うのが想像すると気持ち悪い
ただやりてーんだろ、おめえわ!
そう考えてしまってる・・・
ほれたはれたが後付けなんだよな
じぶんもそういうやつだったのに・・・
浄化したい、綺麗になりたい、そういう気持ちがとても強く根ざして今まで禁欲続けてこれた、
でもダメ
転げ落ちそう・・・・・
いつも自分をさ、ああいうものかいてるんだぞー 自分がまずやんなくちゃだめだぞー って自覚しようって思って縛り付けてきてた
ああそれなのにー
あちし、なやんでる。
みなさん、みなさんは悩んでいますか? 悩み解消の秘策をお教えいたしませう!
正見でございます、 正しく見ると書いて正見。
正見ってなにさ? なにをもって正しいとするのさ?
正しさの基準わからずして正しく事象をみつめれるのか?
正見を知らなければ正見を身に修める事叶わず、
正見を身に修めきらなければ正見を知ること叶わず。
だーー 缶切りは缶詰の中にあるーーーー
ですな。
ですので今日はあちしが掴んだ正見の正体をば。
んー あちしの前世はきっと坊主にちげいねいのお!
正見の真髄を本編でいずれまとめあげたものを書くとおもいまするがここでちらっとだけ書きまする

正しく観るとは人間の 真の 本質 愛
愛をもって事象総てを観る と云う事
(人間の本質がなぜ愛なのかは私の書いている旧男の恋愛講座を読んでくださいな。)
いいですか、誰であれですよ、 あなたと云う人は その本質、真の姿は 愛そのものなんです
いいえ、違います、私は欲の塊です、私は愛ではありません、 そう云われる方も大勢おられる事でしょう、
しかしそれでもあなたは 愛の塊そのものなんです。
あなたは愛を欲してやまない人、 そして本当は総てに愛されて 総てを愛したくて仕方のない人。
あなたが愛なくなにかを行ってしまうのは
愛という潤いが乾いてしまっているからこそそれを埋める為に数々の迷妄を行っているだけなんです。
これが私達と言う人間の今の姿。
本来愛の塊である私達は満たされない渇きを埋めるために様々なことをしている、
埋めるために行う事といったものはさしずめ身体を覆っているコートのような物です。
愛なく風が吹いては身を守るためにコートをしっかりと着込む、
人が人を傷つける、寒さを耐える為にコートをしっかりと強く着込む、
風や雨、嵐、生きていく中で身を守り、暖かさを求めるが為にコートを強く着込む、
風や雨はその身体を覆うものを取り去ることはできなくて、ますますしっかりと着込ませてしまう。
人間の本来の姿である愛の塊になるには身を覆っている様々なものを脱げばいいんです、
ではどうやって? 人は風だけでは生きていけません
雨だけでも生きていけません、 闇や嵐や雲でもありません、
ただ太陽だけが人々のコートを自分から脱がせる。
あなたに愛する人がいるならば、あなたは愛する人の太陽になってください
触れる人、出会う人すべてに、あなたが人々の太陽に、暖かい太陽になるんです
なんで太陽になって愛を人に向けなければいけないの?どうして?
あなたが求めているのは風や雨でなくて本当は太陽でしょう?
あなたが求めてやまないのは ”愛” 求めるものはすべて人に向けたとき初めて得られる物なんです。
まあ、このあたりをきちんと清書して本編に載せますですよ、
あとがきに書いたあの、「宗教ぽさ」のヤツなのでこういったことをあそこに書くのはためらったんですよねー
だって世の半分の人は今楽しいのがいいんですもん、読んでもらえないじゃないすか、
なので書き控えたと。
でもやっぱりこういうことも載せます。
変に妥協しないことにしました。
私はね、散々遊んできた、凝視できない散々嫌なものも観てきた、
だから、もういい、今度は自分が太陽になりたい、
人を愛したい、 人が本当は大嫌いなのに、
たくさん傷つけられて、傷つけて、たくさん泣いて、
だけど、それでも、人を愛したい、
きっと人は笑うさ、
自分を忘れて人を愛するなんてばかげてると。
できるかな?
でも、
もしもできたら、きっと死ぬ時満足すると思う
生まれてこれてよかったってきっと思えるはず。
人の心に、太陽に、青空に向かう、羽をつけたい。
でもごめん、今転げ落ちそうなんだ
私の書いたもの、真剣に読んでくれてる人たちがいるのは知っている、
その人たちを裏切りたくない、そういう気持ちで一杯なのに、
でもだめなんだ、苦しいんだ
転げ落ちたらごめん
その時は許してくれな


この時私は、太陽と北風に喩えて下書きを書いたわけですが、
その私が喩えたのと同じ喩え方やしめくくり方をされておられる方がおられる。 
太陽と北風という話でたとえをされたにしてもですよ、ここまでは偶然で済ますことはもちろんできます、
ですが、その話の完結の仕方、要するにしめくくりにまでもってゆくその内容までもが同じになってしまわれるのはナゼでしょうね?
確率的にいって、ここまで同じ内容になるのはほぼありえない天文学的な確立と言わざるおえない。
つまり答えは簡単な事、彼の盗作だからです。

この方の他の目立つ所では、http://www.osk.3web.ne.jp/~lovenet/love/sitagokoro/
ここの2ページ目に私はこんな事を書きました、


  >私も、あなたも、私達の隣人も、愛なしでは生きられない
  >人は愛なしでは生きてゆけない
  >愛以上のものはないと言っていい。
  >そして、人が放った愛は、めぐり巡ってやがて自分に還る
  >そして、人が放った愛は、めぐり巡ってやがて自分に還る。

  >人は愛なしでは生きてゆけない

この部分までも盗作をされた。
もちろん太陽と北風の例えが盗作されていなかったなら、
人は愛なしでは生きてゆけないというこの部分を私がこの方の著書からみつけても、単なる偶然としてすましていたでしょう。

さて、この方は、私の原稿やら下書きやらあちこちから小さなものまでいくつも盗作をされているばかりでなく、
一昨日ですが、もしや、この方は私ばかりでなく、他の方の書いたものも同じように盗作をされているのではないだろうか、
そんな疑問が起こり、もしそうならばこの方は自分の言葉で語らず人の言葉で騙るニセモノではないのか、
そんな疑問から、ネットでこの方の名前とニセモノという検索ワードで調べてみました。
すると、でてくるわでてくるわ、盗作をされた側の人たちの運営するサイトまでもある。

ここで私は考えました、盗作であるのを知った上で私は野放しにし、益々彼を調子ずかせていたのではなかろうか?
盗作したのだと分かっても、これまでは、もう二度とはしないでほしいなどと日記に綴る程度で、
彼は安心して益々盗作に励みを掛けていたのやもしれぬ、そう考えに至ったのです。
無論、かと言えど、誰々に盗作されました などと名指しするのは私にもリスクがあるのは重々承知していましたし、
それ故に名指しはするつもりはないと公言をしてきたわけです。

ですが、抑止をせねばならないのかもしれません、
盗作をされたのは確かに私にも隙があったのやもしれません、
なら、私は、盗作をされた側と言えどもこの件の当事者の一人には違いありません。
今後、彼ら彼女らが盗作をしないように、何ができるのか、どうこれ以上させないようにできるのか、抑止策はあるのか、
はっきりとした答えは未だ出ぬままではありますが、ならせめて、ここで多少は明かしておこう、そう思う次第であります。
そして、この私の行動が吉と出るか凶とでるか、それら後の事は天に全てをお任せするだけであります。

そして最悪、これ以降、私が行方不明になったり万が一にも死んだなら、
そうゆうわけですので(笑








注、楽屋裏ページである「したごころ」に正規に入るには、
http://www.osk.3web.ne.jp/~lovenet/ ←ここのメニューの「上を向いて歩こう」の文字を縮小版に辿り着くまでクリックしてください、メニューの下に入り口があります。












2006/12/24

 もう今年もイブなんですねー あっというまに一年が過ぎてゆく感じで、
わたしゃいったいこの一年なにしてたんやろか。


話は変わりまして、近頃巷では、人様の持つオーラを目で見る事のできる方がおられるそうですな、
私、実は、そういう話をみたり聞いたりしては、
おなか抱えていました。  もう笑いすぎておなか痛くなって仕方がなかった。 (^^;

無論私は、うおとリアルはざま日記のとあるページのソースでは、ある人たちのどんよりどす黒いオーラを観たとも書きましたし、
どこかの隠し裏日記にも今時珍しい理想に燃えているように私の目に映った政治家の講演を聴いている時に青いオーラをはっきりと観てもいますし、
自分の持つオーラが青紫色であったのを自分のこの目で観てもいます。

でもですよ? いいですか? 私はオーラをこの肉眼で観る事は確かに一応はできますが、(でも実はだれでも観れるんですが。)

他の方々のオーラを見つめてああ、貴方のオーラは何色ですだとか言うのは、
とても真似できません。
逆立ちしたってかないません
だってあんなもの、できないんですから。
オーラは、物理的な私たちのこの目で観ることのできる可視光線とまったく周波数が同じなんです。
だから私たちのこの肉眼で観ることができるんです。
ですがいいですか、蛍光灯でもなんでもいいですが、照明のあるような場所では、
他の光源にかき消されてしまい、観ることは不可能なんです。
それほどにまで、人間が放つオーラの光は微弱なんです。


私が以前大昔の日記ソースに書いた、あの少年たちに取り巻くどす黒いオーラを観ることができたのは、電車の中で、尚且つ外は夕方にはまだ時間があるにも関わらず、
空一面は今にも大雨が降りそうなグレーの雲で覆われており、かつ、電車の中はかなり薄暗かったから。 
そして尚且つ少年らが10人前後で固まっており、性犯罪者のお仲間同士に相応しく、皆が同じオーラを発散していたからでもある。
そう、夜の電車のような蛍光灯でいっぱいな電車ではなかったという好条件に恵まれていたから。
そしてもう一つ、体育館の壇上で講演していた政治家のオーラが観えた時も、演出の為なのかは分からないが、体育館の中は夕方近かったとは思うが、
大変に薄暗い照明がおまけ程度に点いているだけで、壇上に立つその人の周囲は照明らしいもののないかなり薄暗い状態だったと言う事。
こうして、余程の好条件が揃わないと人様のオーラを観る事はできないのです。

私が自分のオーラを青紫色なのだと知った時ももちろん光のほとんどないような薄暗い場所でようやく観れた位に視認は難しいものなんですよ。
視認する時は暗い方が良いと言えども、色を見分ける事が出来る程度にでなくてはなりません。
ではいったいどうしたらよいのか?
そうですね、たとえば、真夜中、部屋のカーテンをしっかりと閉め、もちろんあらゆる明かりは消しておき、真っ暗でほぼ何も見えないと感じてから2.30分ほど経って部屋の中の様子がうすらと分かる程度の状態、
この状態位でないとオーラを視認するのはほぼ無理です。

つまりですね、人間が放つオーラはあまりにも微弱すぎるんです。
ましてですよ、その人の健康状態が悪いようであれば、
尚の事その人から発せられるエネルギー、つまりここではオーラですが、人様が見て視認できるほどのパワーはないんです。

もう一度ここで言います、オーラは物理的な私たちが感知する事の出来る光と同じ域にある周波数、
いわば私たちが日ごろ触れている物理的な光なんです。
だから微弱すぎる上に照明で明るい部屋にいるならば、どれだけ凝視しても、
私たちの目に見える物理光線にかき消されてしまい見えません。
日常の光線にいわばかき消されて見た目には上書きされてしまうから。
さてでは、オーラは物理的な私たちが普段感じている周波数帯域の中の色と同じなのか?
お答えしませう
オーラは、専用のカメラや機械で写す事ができます。
これは私たちが目で捉える事のできる可視光の証拠であり、
決して逃げ口上に利用してはほしくはない幽界の光でもなんでもありません。

オーラは物理的な光ですから当然機械さえ揃えば撮影ができます 「オーラ撮影」で検索されてみてください。
これはつまり、かき消してしまう日常光線をさえぎる形で撮影をしているのですね。



つまりですねー オーラを観る能力は霊能力でもなんでもありません
なにしろ微弱なだけで、可視光なんですから。











 ただいま時刻は8:15
気分が乗ってるので暇なのもあるし、ちょろっと日記を加筆でもしませうか。



そういえばですね、もうずいぶん前なんですが、ある方の指摘なんですが、
 「偶然なんかありません」
などと唄われている本を読まれたそうな。
そのはるか以前、私もメインテキストにまったく同じ事を書いていた記憶がありますねぇ(笑
うん、でも、それは、きっと偶然ですよね?
え? 世の中には偶然なんかありませんて?
ごもっとも。



そういえばこれもまたさらにかなり以前にですが、メインテキストの「上を向いて歩こう」の中の、

【 相手を恋愛対象とする 愛の射程距離 】 の中で、
私はこんな事を綴りました。

  >この辺りの事は子供をもつお父さんやお母さんならよくわかると思うのですが
  >子供に対して躾やお説教をするのに似通った部分があります、
  >いくらお説教しても効き目がないのは、お説教という名の自己否定をされてるからなんですね、
  >躾やお小言というものは形が自己を否定される形では素直に受け入れる事ができないのです。 これは人間は誰しもです。
  >お説教にもやはり工夫がいる、自ら反省し、良くなろうと思う話し方やきっかけを用意してあげるべきなんでしょうね

するとですね、これを私はメインテキスト原稿の書き始め初期、つまり1996年に書いたわけなのですが、
何年も経った頃にとある方が育児教育書を書かれたそうで、大変に似通った記述をされているらしい本があるのだとか教えてくれた覚えがあります。
まあ私は、この綴った部分において何が言いたかったのかと言えばですね、
ただ叱るのではなく、誇りを持たせるような結び方をしてあげるべきなのだと言いたかったわけなのですが。



なぜか今、まるで走馬灯のように色々な事がフラッシュバックするかのごとく脳裏に蘇えるのですが、
http://cgi.osk.3web.ne.jp/~lovenet/p/t1003.html 
昔の日記サイトの中の半隠しとも言えるこのページに、オーラの事を書いたら、なんだかそれ以降からオーラオーラと騒がれる方が巷に増えたような、そんな気がしてなりません。




 またまた話は変わり、2004/10/24に、あるサイトを作り、
http://tubakinohana.fc2web.com/
ここ日記内でそのページアドレスをはじめて公開したのは、2005/6/16 だったと思うが、
なんだかそれ以降、巷ではやれホスピスを作りたいだのなんだのと言われる方が多くなったような。
こういうのって偶然なんですかねえ?


そういえば、 2005/8/4 の下書きとか、2005/10/16の下書きなどとか、まあこれまでにも他にもいっぱいあるのだが、
こういうのっていうのは、もし仮に、この日本にですよ、私がこうして説いてきているような因果を、人にアドバイスするような方が見つけて読んだなら、
やっぱり参考にしちゃうのかなああああああ
どうなんでしょうねえ?
さて、今これを読まれているあなたはどう思います?




これは独り言なんですが、
ヤツが日記や楽屋裏や原稿で晒してくれるネタは乗ると当たる
そんな気持ちの人はまさかいませんよね?










 さて、話はまったく変わり、
最近、といっても昨日なんですが、
松任谷由美さんをこきおろされているサイトを発見しますた。
松浦淳さんという47歳になられる内科のお医者さんのサイトなんですがね、でもこのひと好きやわぁ
しかし読んでみておもふ、この方ってとても辛口だなあ
辛口もいいけどさ、大丈夫なのかな?
人の事を萎びきったオレンジだとか、イノシシだとか、そういう罵倒のような言葉を使ってはよろしくない、そう思うのですよ。
まあそれがどれだけ信憑性のある確かな事であってもですよ、小学生のけんかじゃないんですからやはり罵倒はよろしくないです。
なにしろ、子供のけんかになりさがっては、いけないんです。 傍目から観て不利になるだけですから。
もしも人とけんかをするなら、やりかたは他にあるんじゃないでしょうかね。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200602280000/









時刻は10:00

 そういえば、またまた話は変わるのだが、
ある方がね、その霊能者が本物なのかニセモノなのかの見分け方を教えてくれているのをどこかのサイトでみかけたのだけど、
その内容は、おおよそこんなかんじ 
         ↓
人を不安にさせるような事を言う人はニセモノなんだと

まあ、彼の言いたい一面は分かる、
よく新興宗教などで、信じないと地獄に堕ちますよどうのとのたまう妖しい教祖様などは、この手の恐怖で人を支配しようとしますしね。



でもね、いいですか、今日、この私の日記ページを読みにこられている皆さん、
今日は私が本物ニセモノの見分け方を伝授して差し上げましょう^^
本物の教祖や霊能者は、耳に心地よいその人に都合のよい暖かい言葉ばかりを投げかけたりはしません。
相談に乗る、アドバイスをする、そういう状況は互いが合意して得られる一致であり、アドバイスをする側は本物であるならば尚の事、
決してその人の耳に都合よい言葉ばかりを話しません。
本当のアドバイスと言うものは、その人に都合の良くない、苦しい事ですらも、向上の「機会」であるから故、憎まれ役になろうとも進言をする。
それが本物の、そしてまた本来の務めなのだ。

だから本来、それらの人たちは個人的なレベルで好かれる事はありません。

さて、ひさびさに解りやすいのを引用しようかと思う。


また街のおがみ屋さんなんか、そんな頭のよわい人をつかまえて、おだて上げる者もいる。
たとえば、「あなたは、仏陀の奥さんだったマヤ夫人の生まれ替りです」とか、「明治天皇の生まれ替りです」とか、
「仏陀の弟子の誰々だった」とか何とかいって、その人をよろこばせて、自分の信者にするのである。
言われた方は喜んでしまって、信者になってしまう。
この間死んだが、ある宗教家がいて、彼は自ら、「わしは釈迦の生まれかわりだ」と言って、信者が来ると次のように話す。
「あなたは、私が菩提樹の下で瞑想している時、おかゆを与えてくれた女性でした。 あなたと私はとても深い縁で結ばれているのです」
・・・・・・言われた本人は必ずといっていいほど喜ぶ。 どこの宗教にいっても、あまりうだつが上がらなかったり、、不美人であったり、
等々でいつも心が晴れなかった女性などは、すぐにひっかかってしまう。<これがインチキ宗教家>のやり口なのだ。
こんな類の宗教家が日本には山程いる。 福霊とか背後霊とか言って
「あなたには立派な背後霊がついていますね」とか、「立派な背後霊をくっつけてあげましょう」などと言って、キツネかヘビの霊をくっつけられ、
しまいにのぼせ上がって気狂い病院ゆきとなるのがおちだ。

以上は、内垣日親氏の、「自己実現グルへの道」の84Pから引用

さてどうだろうか、私も概ね内垣氏の指す文に賛同をする。
喜ばす事にウエイトを置いてはならないのだ。 本末転倒であり、もやは互い合意での向上の機会の意味を成さず、
ただ結果、その者を妄信的な信者にするだけでしかないから。
本物はね、だから意識して喜ばす事を避けますよ。















加筆タイム ただいま時刻は午後2時頃

  >ちょっと話はズレルが、男女間では、惹きあう人も、引きあう人も、、俺は同等レベルだと考えている。

 ここらあたりとか、

  >利己利他4分類では大まかに4つ、もしくは6つで人間の精神性の大まかな段階を示した。
  >そして、今回触れている、人は同等同質の同じレベルに居る者と惹きあうという原則だが、
  >これは文中のなかで太字強調している箇所を今一度読んで頂きたい、
  >意識幅に違いがあるとき、人はそれを理解できずに仲間として受け容れず、閉め出してしまう。
  >人の知性、精神性、嗜好、指向、志、性傾向、これら様々な意識の波長は細分化された個性で、
  >それら個々の細分化された個性にはそれらに見合った周波数がある一定の幅を持った一つの世界に属する。 
  >(下図の輪の一つが細分化された個性に相当する。)
  >この細分化された一つの個性が、ある人と共通する場合、それは同等同質の者として認識をされる。

ここらあたりの、
以上はこの日記サイトの3ページ目、
http://cgi.osk.3web.ne.jp/~lovenet/tubakikaoru/k0003.html
それは2003年になったばかりの頃に下書きとしてUPした時の一部分なんだけど、
どうだろう?これらは覚えているかな?
少しでも時間があるなら遡って追い読みしてみるといい。

まあこれらはね、あえて一言にまとめた言い方をするならば、

  波長の法則 とでも呼べばいいかな? (笑

そしてこれ以降、まあ3ページ目に下書きしたばかりでなく、当然ながら本宅サイトに清書してすぐさまUPしたわけなのだが、
私の本宅サイトの4章や利己利他4分類でまとめた章をお暇な時にぜひもう一度お読みになられてみてください。



そういや気になる事がある、なんだかそれ以降ここ最近は、波長の法則なるものを提唱されるようになられた方が巷で増えているような ^^;






2006/12/28

 最近、この日記ページを読みにこられる方が急に増えたようです、そこで考えたのですが、
まず、この20ページの先頭に書いた日記を19ページに移動し、今月からまたも私自身がちょくちょく触れるようになった盗作について読みやすくしてみました。


 さて、ではこれまで赤の他人にされ続けてきた盗作について、やられたなと思われる私が気づけた範囲でここに記しましょう。

以下は同一人物


一番初めに気づいたのは、私の2001/2/16の長文日記の中に書いた、太陽と北風で喩えた話
太陽と北風の寓話を引き合いにするにしても、その話の結び方までも同じと言うのは天文学的な確立で、普通にはありえない事。

そしてその方がこれを盗作してその本を出されたのはもちろんそのあと。
書籍がどれなのか分かる方は初版日を確認されたし。


他には、「偶然などない」 この部分も私の本宅サイトにUPしたメインテキストを読み、そのまま書かれている。


「人は愛なしでは生きてゆけない」 これは本宅サイトのメニューにある、私のメインテキストの、アンケート用縮小版のメニュー下に入り口を設けた、
言わば楽屋裏的なページの2ページ目に綴った言葉。

本宅サイトアドレス ↓
http://www.osk.3web.ne.jp/~lovenet/

楽屋裏ページアドレス ↓
http://www.osk.3web.ne.jp/~lovenet/love/sitagokoro/

問題の文は、手塚治虫のコミックの引用をオレンジ色でしたその直後。
探しやすいと思う。


今月24日には私はこんな事をこの日記に書きました。

【 相手を恋愛対象とする 愛の射程距離 】 の中で、
私はこんな事を綴りました。

  >この辺りの事は子供をもつお父さんやお母さんならよくわかると思うのですが
  >子供に対して躾やお説教をするのに似通った部分があります、
  >いくらお説教しても効き目がないのは、お説教という名の自己否定をされてるからなんですね、
  >躾やお小言というものは形が自己を否定される形では素直に受け入れる事ができないのです。 これは人間は誰しもです。
  >お説教にもやはり工夫がいる、自ら反省し、良くなろうと思う話し方やきっかけを用意してあげるべきなんでしょうね

するとですね、これを私はメインテキスト原稿の書き始め初期、つまり1996年に書いたわけなのですが、
何年も経った頃にとある方が育児教育書を書かれたそうで、大変に似通った記述をされているらしい本があるのだとか教えてくれた覚えがあります。
まあ私は、この綴った部分において何が言いたかったのかと言えばですね、
ただ叱るのではなく、誇りを持たせるような結び方をしてあげるべきなのだと言いたかったわけなのですが。

そして、これら問題の書籍がどれなのか見当がつく方はぜひその初版日を確認されたい。
どれもそれもが私が日記や楽屋裏や本宅サイトにUPをした以降に彼は本を出している点に留意。
そしてこんなものは、時間軸がハッキリしているので議論の余地もない。



しかしまだまだある、まずは本宅サイトから入っていただき、メニューのニュースの中に入り口を設けたフル版を開いて、
3章の 「ひきあう人 相手は鏡」をざっと読んでみてもらいたい。
人間関係が鏡である事を、私はもちろん先にここでUPをしているという点。
この3章は、第一部であり、第一部のラスト、5章を書くよりもうんと早い時期に書いたものである事も併せて申し上げておこう。
(鏡の話は1996年に書いたもの。 1998年12月31日深夜1時に、この鏡の話に関して感想メールをサイト読者からも頂いており、このメールは未だ残してあります。)
第一部の5章を書き上げて一旦はこれでよしとし、書くのを一時やめてしまったのだが、
その5章を書き上げたのは、5章ラストにもありますように、2001/1/17




次に、第二部の、「6章 原因と結果の法則 因果」と、 「7章 因果 嘘」 「8章 因果 罪」、これらを書き上げたのは、
2001年の年末から2002年の年始めの私の断食行中であったと言う事。
2002年1月3日の私の日記にはその時こう書いた。

  > 06:50、 本宅サイトに第二部を部分UP
  >今回まだみっつしかかいてない
  >いじょう。

このみっつとは、もちろん、「6章 原因と結果の法則 因果」 「7章 因果 嘘」 「8章 因果 罪」  この三つの章の事。
そして2002年1月10日、四つ目にあたる、「9章 正見 愛の瞳」を少しずつUPし始める。
この日は、2001/2/16に日記内で下書きしておいたものを清書して「太陽と北風」をUPし、そのあとに「正見に進む前に」をUPした。
翌日、2002年1月11日には、「正見に進む前に」の後に書いた、「利己利他4分類」を、のちに書籍化した暁の事も考慮し、
読者が読みやすく探しやすい場所にもと、原稿の巻末にもUPした。 そしてこれらの事は、私の昔の日記サイトの2002年1月のそれぞれの日の日記にキチンと書いてある。

現行日記サイトの一つ前の、今で言う 昔の日記サイトのアドレスは以下の通り。
http://cgi.osk.3web.ne.jp/~lovenet/p/





次に目立つ節目となるものは、現行のこの日記サイトの1ページ目、2002年5月25日、
都内にある「サンクチュアリ出版」に、実はまだ書きかけではあったがものは試しにとFDの形で持込をしてみた。
5月28日、たしか大和出版の編集田中さんにアポ電話。
後に持込をしたが完成していない故かボツとなる。

次の節目は現行日記サイトの7ページ目、
2003年3月29日の日記では、しばらく日記そのものを休止すると書いたとおり、次ページである8ページ目で日記を再開したのは8月。
そしてこの間、6月一日までの間に原稿はほぼ完成し、2003年6月1日版として本宅サイトにUPするようになる。

もちろんそれまでの日記内で書き綴ってきたものは下書きもあり、清書してUPをしてもいる。

さて、こうした経緯の中で、盗作をされてきた方は、私のそれら日記内で拾えそうなものは拾っておられたと言う事。
たとえば、この現行日記サイトの3ページ目には、

  > さて、意識の波長が同じ幅の中にいないと人は互いには惹き合わないと書きました、
  > ここでこの隠れ家を年中読みにきてるE・Yさんに自問してもらおう! K・Tに惹かれる時はいつも、指向性やいだく価値観に重きを置いていたのはK・Tと同じものだったはずです。

とまあこんな感じので綴ったのですが、その前後の文をよおく目を皿のようにして噛み砕くように読まれてみて欲しいのだ。
こうして、本宅にUPする以前から、そう、日記内の下書きの段階であるものですら、私の書いたものは彼に盗作をされてきた。
これ以降ですからね、彼が波長の法則を喧伝するようになったのは。

それと、今挙げた文のすぐあとの同じ日に、私はこうも書いた。

  >  さて、そろそろシメないとね。
  > あなたが、笑顔で溢れた人に魅力を感じたり、好意を抱いたり、好きになるのは、
  > その人の外側に向けられた利他の部分、愛を認めるから。
  >
  > 人は自分に向けられる人々の利他、向けられた愛を、自分の資質として備えようとする。
  > 人間は本来善性であり、愛を求める事は上昇志向なしるしでもある。

彼はこれを読み、それ以降、人目に映る場所ではできるだけ笑顔であるように努めるようになった。
これはもう時期がはっきりしているんです。 彼が私のこの文を読む以前は、
人目に映る場所であっても、それが写真であっても、笑顔で写ろうと努められている写真は見たことがありません。
これ以降を境に人前で笑顔を見せるようになったのです。
疑問に思われる方は、私がこの日、2003年1月6日書いたこの日記以前の彼の写真と、以降の写真とを書籍あたりで確かめてみるとよい。
確かめてゆくのは簡単で、初版日を確認すれば一目瞭然なのだ。
彼はこうして、私が日記や原稿、楽屋裏等で書き綴るものを認めているのだ。 だからこそ自分で使えそうと思うものは勝手に文章にもするし、日常でも活かすのだ。



おそらく、今私が述べることは、残念ながら、確認をしたくてもできない、私自身の誇りにかけてできない事なのだが、
私は、電波と疑われる心配があるのは百も承知で今ここにそれを書きますが、
私が盗作をしたであろう人たちの本を一体どうやって知るのか?
これまでにも同じ事を日記では書いてきたが、繰り返そう、それは、書店の近くを通りかかった際に奇妙にも書店に引き付けられ、
そうやって書店に入り、フロアの中のほんの一角に並べられているその書籍に妙に引きつけられ、手にした途端に気持ちわるくなったり、
その本を実際の目方以上にずしりと重く感じる事がある。
そしてそうした事が起きた本に限って、ランダムに開いてみたそのページがまさしく盗作をされていたページだったというのが頻繁だった。
太陽と北風のページを見つけたのはこんな具合だったのだ。
もちろんすぐさまその本の後ろに書かれてある初版日も私は確認をした。
(引き寄せられたり重く感じたり気持ち悪くなったりするのは、私を守護する神仏などの働きかけだろうと察しています。 似たような事はこの日記の4ページ目、2003年1月7日の日記を参照されたし。)

さてでは、私のこれら日記郡や、原稿をUPした本宅サイト、そしてそれらの日時は絶対に間違いのない真実なのか?
こういった疑問が沸き起こるに違いない。
私もこれに悩んだ。 しかし、長年読み続けてきた人たちが幸いにもいる。
私のこの現行の日記サイトはもちろんの事、それ以前の日記サイトも、長らくリアルタイムで読み続けてきている人たちが大勢いる。
それは私がこのローカルな個人日記サイトの中で指す、ストーカー集団たちもそうであるし、これまで感想メールをくださった方々もそうである。
そして何より、幾つかの出版社にはフロッピーディスクの形で持ち込みをしており、その日時や持込原稿を編集者が受け取った事実は絶対に曲げられない。

そしてもう一つ私はここで言いたい事がある。
私は、引きつけられて入った書店で、ずしりと目方以上に重く感じたり、手にした途端に気持ち悪くなった本を開いて盗作に気づけてはきたが、
その書籍の他のページは99%読まず、まあこれには私自身の深い理由があるのだが、もしやすると同じその書籍の中にも、まだまだ沢山の盗作箇所があるのやもしれない。
そしてそれは、盗作をしたその人のそれ以降の書籍にも同じことが言えると思う。
なぜこんな事を私が考えるのか? 私は、他人の書籍を読んだ上では原稿を書いてはいけない、少なからず影響を受けてしまう。
私が、誇りにかけてできない事と前置きをしたのはこれがあるからなのだ。
たとえ確かめるという作業であるにしろ、彼らの書籍を読みたくはないのだ。
それが世間では盗作と呼ばれる所のものだと私は思うからなのだが。
だから、彼ら彼女らが盗作したのを発見はしても、私は彼らのそれ以降の大半の書籍は確かめようとすらしていない。
ここで今この私の日記を読まれているあなたにお願いがある。 もし、私のこれら日記郡、楽屋裏ページ、そして本宅サイトにUPしてある原稿、
これらの中に私が書いたものと同一のものをそれら彼らの書籍等からもし見つけたなら、
それをしかと私の書いたものと日付ももちろん、比較をしてみて欲しいのだ。




私がね、彼の盗作が確信犯だと悟った直接のものはね、
私が喩えで書いた下書き、2001/2/16に書いた「太陽と北風」
そして楽屋裏ページの2002年8月22日に書いた「人は愛なしでは生きてゆけない」
この二つを彼が盗作したのを気づいた時。
私が書いた以降だというのがあまりにも日時までもがハッキリしすぎている。
そしてそれ以降の彼の文や言動、私はここ何年も彼の盗作元の一つであったのだ。





ある人は言う、ホスピスを作りたいと。
しかしそれも、2004年10月24日に私が仮立ち上げをし、 http://tubakinohana.fc2web.com/ 
2005年6月16日にはじめてこの日記内で、そのサイトのアドレスを人前で明かしたのだが、
それ以降の事だった。 

私はね、今で言う昔の日記サイト、http://cgi.osk.3web.ne.jp/~lovenet/p/
この中のメニューには載せなかった連番の半隠しページである真の3ページ目、 http://cgi.osk.3web.ne.jp/~lovenet/p/t1003.html この中に、 
今現在の仮立ち上げ中のこのサイト→ http://tubakinohana.fc2web.com/   の中で計画中のものの構想の走りを当時書いた。

無執着、無頓着、無欲で理想を追う事が美徳って考えていたけれど改める。
どうしたって次にやりたい事の為に金銭が必要になってくるんだからね。
以前はたいした金銭がなくてもできるって考えていた次の夢があった、
土地がまず欲しいって考えていたんですよ
一坪あたり数十円で買える地方の土地。
たくさん買い集めて畑にしたいって考えていました。
働けない体であったり年老いた人、そういった人たちが食べてゆくのに困らないよう自給自足ができる畑が欲しいって考えている。
いつか日記でどうしてもやりたい事があるって書いたもののビジョンが最近明確になってきている。
どうしたって印税がほしい! (笑)
東由多加がその昔思い描いたさくらんぼユートピア、宮澤賢治が夢に描いた理想郷、IHATOV。
今、思い描く次の夢は彼らが夢見た理想郷に重なっている。
無茶だと思うかな? そうでもないよ、一坪あたり数十円の土地なんか地方いけば幾らもあるんだからね。
自給自足で収穫を元に生活を安定させながら取れた穀物を今度は海外に持ってゆきたいって考えているんです。
ほんとはこっちがメインで重きを置いてるんですがね。
アフリカでもどこでもいいさ、食べれない、働けない人たちが世界にはたくさんいる。
自給自足で畑で働きながら皆が食べてさえいけるようになったなら他所の国に穀物持ってって飢えを少しでもなくしたいって思う。
そう、今はあくまで夢。 でも夢を描く事をやめない! 食べてゆけるようになって印税もあまっているならその時はできるはず。
苦しい人や困っている人、悲しんでいる人たちは遠いいつかの自分自身、
いつかやってくる未来の自分自身の姿でもあるんだよ。
以上のサイトUPは2001/7/11〜22のこの期間。


当時綴ったこれらは、未だ成しえてはいない大志ではあるが、正真正銘私はこれらを本気で考えている。
思想のパクリまでするのか?
私は、決してどこかの誰かのように、人様のウケ狙いで言い放った言葉ではない。


こうして振り返って盗作をされた箇所を思い起こしてみると、なんとなく世間様に聞こえのよさそうな響きのよいものにばかり目をつけられておられるように感じる。

「人は愛なしでは生きてゆけない」しかしこれは、私は本宅サイトの原稿にはあげなかった。
下書きとして書いたのにも関わらずだ。
あまりに響きがカッコよすぎる。 キザだ。 だから表サイトである本宅サイトに私はあげなかった。
私はウケ狙いをしたくて原稿を書いているわけじゃないから尚の事だ。
私が原稿を書き続けるのは、それは私の誓った約束だからだ。



私にも、幼少から青年期にかけて、苦しい時があった。
人に言うのもはばかるような、悲惨を絵に描いたような不幸な時代があった。
食うのもやっとのような時代もあった。
だけど、私はこれまでこの数年間、たとえどんなにおちゃらけた事は日記に書いてはきても、自分の幼少時の不幸の安売りだけはしてこなかった。
自分の幼い頃の悲惨な様子を人に話してどうしたいのだ? 同情してもらって何になる?
自分の不幸などわざわざ人に話すなよ。 男なら尚の事。


施設の話に戻るが、もし、ウケと勢いで口にしたにせよ、幾ばくかでも心の底に本心としてあるならば、本当にやってみせよ、
私財を投げ打つ気持ちでやってみせよ。
もしも本気でやるなら、数十年と永続させなきゃ話にならんのだから、私財はすっからかんになるが、やってみせよ。
その時は私もあなたを見直すだろう。


本来、どこかのあの歌手や、あなたや、私や、
幼少にして家庭崩壊や肉親と死別、およそ一人で生き抜かねばならない境遇に陥りながらも、
他人に奉仕する職を選び人生を歩もうとする者は、生まれてくる以前から、この世に菩薩道の修行をする為にこの世に生まれた者。
だから、道を踏み外すな。



(ここで皆様方の勘違いのないように注釈しませう。 人に奉仕する事で云わば修行そのものが目的で生まれてきた者であっても、
幼少時に肉親のそのほとんどと死別や家庭崩壊を経た上で他人に奉仕をする魂は、
過去、歴史上において、たしかに人に奉仕をする為にこの地に生を受けた者が多いが、
魂の修行者としての成熟度は、実はまだまだ低いんです。 (なので勘違いのないように、決して選ばれた魂だとか自惚れてはいけないのだ)
完成に近い魂がこの地に奉仕する為に生まれて来る時は、これらとは反対に高貴な家庭に生まれてくる事をみなさん覚えておきませうね。
云わずと知れたお釈迦様然り、イエスの家系然り、空海も然り、
パラマハンサ・ヨガナンダやラヒリ・マハサヤも然り、
宮沢賢治 県内でも五指には入る位の裕福な家庭に生まれ、
内垣日親氏もそうだし、笹目秀和氏もそうだ。
なので、幼少期に不幸が一身に集まりながらも奉仕行に務めようと歩む者は、それらの域には達してはいない、
云わば天の采配、それら環境によって力技でその道を歩むように定められた者なのだ。
高貴な家柄や宗教家の実子、飛びぬけて裕福な家庭などに生まれてきた上でこの世で奉仕行に勤しむ事を選ぶ事ができた先達は、
幼い頃に不幸や苦しい生活環境という起爆剤をわざわざ味わう事無くともその道を選び、精進する事のできた、この地に生まれ奉仕する者たちの中では完成度の高い域に達した魂の証なのだ。
裕福で何一つ不自由がない者と、凄惨な不幸を起爆剤にせねば生まれてくる以前に誓ったことを思い出せない者と、どちらが完成に近い魂なのかは一目瞭然だろう。)






2006/12/30

今日は面白いものを書こうか。
でもその前に、少しばかり、ここ最近書き綴ってきた事のまとめを書いておこうか。
もうかなりわかりやすく説明はしてきたつもりではあるけど、何しろ私の日記群は大昔、昔、現行、と三つあるし、
本宅サイトに設けた原稿サイトも大きく分ければ二つある。
おまけに2003/6/1版を挙げてあった場所には楽屋裏ページも置き、そして途中から6/1版を縮小版に差し替え、アンケートを置くようにもなったし、
色々な箇所に私の文章がちらばる事となり、あちらもこちらもじっくりしっかり読まねば時間軸を把握しにくいというのもある。

要は、私のこれらのサイトをつい最近読むようになられた方にとっては、この現行の日記の中でいくら私がこうこうしかじかな内容のものを
いついつどの日記に書いたと言っても、5つも6つ7つもとアドレスがあるようでは混乱をするだろうと、そう思う次第であります。
ですのでここに簡単にまとめておこうかと思います。


別宅 私の個人日記サイト


おもに目立つ日記の一部抜粋

大昔の日記サイト 

1999年12月〜2001年4月 私が喩えで書いた下書き、2001/2/16に書いた「太陽と北風」

 昔の日記サイト

2001年4月〜2002年1月 連番でありながらメニューにないだけの半隠し日記はこれ
 http://cgi.osk.3web.ne.jp/~lovenet/p/t1003.html

現行の日記サイト

2002年2月〜現在 波長に関する下書きや笑顔の効能を綴った日記の3ページ目



本宅 ネトア総合サイト
 Cute Girls Japan IN ネットアイドル


メニュー内
 主にメインテキスト原稿縮小版や 
アンケートの入り口


 メニュー、ニュース内
 メインテキスト 原稿フル版 
縮小版メニュー下に
楽屋裏入り口

 メニュー
SPECIAL SITE内最下部
別宅 日記郡入り口


メニュー内リンク
仮立ち上げ中の
管理人のもう一つのサイト





さて、どうでしょう、私の持つサイトは本宅をはじめ、いつごろの日記だとか、
まあ入り口の数の多いこと^^;

それと前回の日記では書きそびれましたが、

私のメインテキストは、第一部で一旦〆た時期があるのはこれまでこの膨大な日記を読まれてきてご承知とは思いますが、
第一部完成時の時の章構成は、今現在の5章ではなく、今ではボツとしてしまった原稿も当時は山ほど一部の中に詰めた状態であり、
第一部はたしか全8章くらいだったかと思います。
第二部を書き上げる時点で大量のダメを出し、4章ほどに絞りました。
そして、 波長に関する下書きや笑顔の効能を綴った日記の3ページ目を清書し、 
4ページめの、 http://cgi.osk.3web.ne.jp/~lovenet/tubakikaoru/k0004.html
2003年1月10日の日記にその清書した章を日記内で一週間ほど公開をし、その後第一部の3章の次、4章の手前の位置に第一部4章とし、
それまでの4章が繰り上がり、第一部は全部で5章となったと。
ふーややこし^^;
このあたりはね、きちんと説明しておかないとね。 時間軸の問題があるから。
まあもっとも、そのあたりは今説明した通りで、3ページなり4ページに当時その旨書いておいたから問題はないのだが。
まあ4章だけは現5章の後に書いたものと明言をしておきます。
なにぶん几帳面な性格ですので(笑

あ、それと、「話しかけると」「不倫が成り立つわけ」
の二つは話が濃くなってゆく前が相応しかろうと2章に移動してた事も合わせてご報告しておきます。



しかしこうして、入り口が多かったり、ネットアイドル総合系サイトを開設していたのはかえって不幸中の幸いだったのやもしれません。
雑誌やメディアにてネトアなるものが注目を浴びるようになり、自然私のメインサイトにも様々な有名無名な方々が来られ、
古くからメインテキストにお目を通して頂く機会にも恵まれたのは、決して偶然ではないのだと思う次第であります。












さてさて、ではそろそろ本題に入りましょうか、今日は面白いお話をすると言いましたね、

もうずいぶん前になるんですがね、
私は仕事の都合で運転免許取得のために山梨は甲府の合宿に行った事がありました。
自動車学校の合宿と言えば、まあ都内近郊に住む者には甲府あたりの合宿所を選ぶのは割りとポピュラーだったんですね。
で、免許の合宿と言えば、もちろん同じ自動車学校に通う大勢の人たちと同じ寮にも住む事になるわけですね
毎日毎日自動車学校に皆で教科書持って、勉強をし、ふらふらと運転をしたりと、してたわけなのでしたが、
ある日、同室の一人が甲府駅周辺に遊びに出かけた日の夜のこと、
寮に帰ってきたその彼はやや興奮気味に、うちら同室の者らに、その日甲府駅前で観てもらった易者の事を話し出した。

なんでも、その易者が言うには、あなたは今後、車関係でなにか大きな事故にあうかもしれないと言われたそうだ。
そしてそして何か思い当たる事はないかとも。
彼は自分が30まじかになってようやく普通車免許を取得する為にわざわざ山梨にまでやってきた、
当然彼は今免許取得の為にこの地に来ている事と、その易者の、今後あなたは車関係で事故にあうかもしれないと言った言葉を結びつけ、
何かしら易者の秘術のようなものでその予兆を発見でもしてもらったかのような気持ちになり、
われわれの前に夜姿を現したときにはすっかりその易者さんの熱心なまるで信者かのような人間に出来上がっていた。
私も、同室の他の者も、ただ話をうなづくなりそれとなく話は聞いてあげては相槌を打つ程度で、
同室の私たちは、その彼の言う凄い霊能者のような易者さんに心底心酔するような者は幸いにもいなかった。
なぜ私も含め、同室の者は誰もその易者を真剣に凄いとは思わなかったのか?なぜ彼はその易者のスーパー霊能者ぶりに心酔したのだろうか?
私たち同室の者はその様子をみていなかったからというのはもちろんあるし、だから冷静でいられたというのはある、
ではなぜ易者のその様子をみた彼は心酔をしたのだろう?
ひとつひとつの易者の言動や導き出した答え、それは彼にとっては彼の心の中にしかないはずの事柄、
彼が今一番関心の高かった自動車に関することでその彼の未来の透視をずばりされたからこそなのである。
無論、今ここまで読まれた読者の中には察しの良い方も大勢居られると思うので、種明かしは簡単にさせてもらうが、
彼はその土地の者たちからすれば、他所の地に住む発音やニュアンスで喋っており、
百戦錬磨の易者が見逃すわけがなかった。
すぐさま彼は彼の地、甲府駅前で昼間なんの予定もなく暇をつぶしてぶらぶらしている彼を見ては、
歩いてすぐそばにあるあらゆる地方から入寮の形でやってくる自動車学校の生徒だろうと丁半博打宜しく見定めては、
カマをかけるよろしくトリックの下地に入ったのだ。
言葉使いの微妙に違う彼の返事を頼りに、彼が今一番驚きそうなもの、
易者は彼に言うわけだ、あなたにはなにか車の予兆があると・・・
もしかするとあなたは、これ以降、車で事故に合うかもしれない。

彼が肝を潰すのは当然だし、易者の言う未来の透視はこれぞホンモノと思ったに違いない。
何しろ、彼には絶対の自信がある、自分がまさにその自動車に関する事でこの地に来ている事を、
この今日初対面の、会った事すらもない見知らぬ他人に まさしく「言い当てられたのだ」
そう、彼にとってすれば易者の未来透視はホンモノで、その易者は何一つ疑う余地のないスーパー霊能者なのだ!
こんなにも優れた霊能者がなぜこんな地で細々と小さく易者などに身を窶しているのか、それが彼には不思議なほど
「大きな」「偉大な」「ホンモノの」スーパー霊能者」に映ったのだ。
しかしもうお分かりのように、これには立派なタネがある。
彼は言葉使いの違いからよそ者とカマをかけられたのだが、
これらの相手の様子や返答の内容、さまざまなものから情報を得てゆきながら相手の関心のある事の答えを告げてやる手法を、
コールドリーディングと呼ぶ。 より正確にはこの易者の場合には、すでに自動車学校に合宿に来たものだろうとおよそは判断できていたはずなので、
ホットリーディングにも近い手法とも言える。
ホットリーディングとは、事前調査を指す手法で、相談を受ける前にネタを仕入れた状態を言う。
コールドリーディングは主に会話のやり取りの中で何かしら反応を見てゆきながら行う一種の誘導尋問と言ってもよい。
しかもすっかりその易者に心酔して騙された彼には、絶対の、彼が信じるヘンな自信があった、
そう、それは、目の前のこの易者が私の今一番の関心ごとを知る由もないという根拠のない自信を。
そしてもし彼が免許を取得し、車を運転するようになったその後、万が一にも車で事故を起こしでもしたなら、
彼の中でその易者はもうスーパー霊能者どころの話ではなく、まるで神の使いのような霊能者に奉りたてられてしまう。
それがもし万一 あなたはこの先車を運転したらだめだ位に釘をさしておいたなら尚更の事、まさしく大騒ぎを起こすくらいの効果てきめんとなろう。
そして彼からその易者の的中の話が広まればまさに一石二鳥ともいうべきこんなにもおいしい手法もないのだ。

しかし実際は何のことはない、少しの事前調査というホットリーディングや、誘導尋問を絡めていきながら相手の関心のある事を並べてゆく
コールドリーディングという、客を目の前にして詰まった事のある易者やカウンセラーなら必ずや通る、
詰まった時は下手な鉄砲も数うちゃ当たるのあてずっぽうそのままなのだ。
そしてこれらは、相手の関心ごとに触れることのできない下手で能力のない、相談相手としては頼りにならないという烙印を押されないが為にも、
ほぼ必須で、相談を行う者なら誰でも自然と身についてしまう習慣の如きものでもあるのだ。
相談者というものは、相手の関心ごとを見抜き、それがさも当たったかの如く受け止めてもらい信頼をされる事によってはじめて主導権を掴み、
相談という名のカウンセリングにスムーズに入ってゆくその為にも、ほぼ不可欠と言っていい位に 「ごく当たり前の事なのだ。」

そしてこれらは彼らには当然の事ながら、毎日どうコールドリーディングをしてゆけばいいのか、このタイプにはこう切り出したほうがいいのか、
ああいった事柄から切り出していったほうがいいのか、日々研磨するが如く常人とは比較にならない程のコールドリーディングの実習訓練を年単位で積み続けてきているという、
もうハナカラ口で敵う相手ではないのだ。
関心ごとさえ見抜いて主導権を握ったならもうその後はくちからなんでもいい、ああ、あなたの亡くなったお父さんが今あなたを心配してますとでもなんとでもいい、
もうこっから先は主導権さえ掴んでしまったならどんな役者にすらもなれる絶対にバレやしないスーパー能力カウンセラーなのだ。

もうこれでわかったと思う、彼らがたずなという主導権を握り締め、劇場で舞台にあがったなら、
もう演じきるまでは止まることのない舞台俳優なのだ。


人前で演じきると言う事。
それは裏を返せば人前で本心を偽ると言う事に通じ、
本心を偽る事を日々の実習訓練によって鍛え上げてきた者にとっては、
まるでスイッチが切り替わる如く簡単にオンオフできるようになったそんな彼らにとっては、
嘘を突き通す事はいつもの舞台で演じるのと髪の厚さ程の違いもない簡単な事なのだ。











こういった人は、常人と比較して数倍の嘘を四六時中、しかも毎日維持し続けねばならない為、
プッツン系に傾く人が圧倒的に多いと私はこれまでみてとって感じています。
いつも、どこにも、本当の自分である姿に戻りたいのに、戻らぬようにと戻れないようにと、
見えない縄で自分をがんじがらめに縛り上げている状態。
一切を偽らない心底本心だけの、真の自分をさらけ出す事のできない日々を送らねばならないのは
大変に苦しく、苦難で険しい人生を好き好んで歩くという、生ある生き物とって不自然でおかしな行為でもあり、
嘘を四六時中ツキ通さんがために、ゆらりとリラックスをした健康的な+の状態ではなくなり、、
偽り通すが為に筋肉と精神はそれらに正比例して常に張り詰め続けなければならない苦の状態に身を置く行為なのだ。




























 今世の中でニセモノホンモノを見分けんが為に熱く論議が重ねられている掲示板がありますが、
私の見解を述べておきましょう。

 もしも、ニセモノだったと後々露見したとしたならどうしますか?
ならば私たちはホンモノだとかニセモノだとかといった事に依怙地になるのではなく、
矛盾があるならそれは矛盾として、おかしい事があるならおかしいとして確めなければいけないのではありませんか?
何事も不透明なものをそのまま放置にしたりせず、妖しいものはすべてを明白にしてゆき、
その上で確たる信を持たねば、それは本当の信とは呼べないのではありませんか?
そしてそれこそが正しい姿勢ではありませんか? もしそれが真に信ずる者とするならば至極尚更の事ではありませんか。
矛盾や、世間がおかしいと追及してくる材料があるのにも関わらず、闇雲になんでも鵜呑みをする如く盲信をしてしまうなら、
その姿勢はカルト宗教の信者と一体どう違うのでしょう?



 同じくホンモノニセモノ論争で、ホンモノと信じきられておられる方がニセモノと信じている方たちに向けられた発言に対する、
私なりの見解。

 信じていない人たちに向かい、魂修行しろなどと仰られますが、それは上からものをみている姿勢です。
真に霊性の高まった者はそのような、人をあからさまに下に見立てたモノ言いはされないのです。
やれ自分をだれそれより上だとかやれ彼は下だとかといった、そういった見識ばかりにこだわりの生ずる段階、
つまりこれは我執のある段階ですが、それら我執から離れてゆく事が魂の向上の、人の目にも見える判り易い目安なのです。

我執は 拘りの心 己一番という自己本位な状態そのものだからです。
霊性が高まってゆけばゆくほど、まず我先にという我執がなくなる
金銭に対して個人的な執着を持たなくなってくるし、
日常で日々善行を行うにしても、それらによって内心実は褒められたいとか偉大とかいった、
大きな者と思われたいといった自己執着となるようなものは求めなくなってゆくようになります。 
ただそれそのものが、なんら報酬なき奉仕をする事こそが目的となるからです。 そしてまさにこれこそが真であるべきなのですが。
こんな事はこれまで長きに渡る私の日記の中やあちこちで言い尽くしてきた事であって、
何を今更とは思うたが、今一度ここに述べておく。




さて、ここで、私のサイトにこられている皆様に一言お伝えしておきますが、
私は霊能者ではありませぬ故、ホンモノでもニセモノでもなんでもありませぬので。
何事も、盲信は心と体の毒になります。
もしそこに不透明なものがあるならば、まずはそれをきちんと確めて、その上で信不信を唱えれば良いと。








2007/1/2

 あけおめ

さて、話は変わり、昨日元旦にですが、とうとう行動を起こされた方がいるようです。
バイクの後輪にワイヤー状のロックをはめられてしまいました。
これは、おまえの居所はわかっているし、いつでもどんな事でもできるのだという警告なんでしょうね。
私がね、行方不明や死のおそれをわざわざここ日記上に書いたのは、
先手としてそれらの行動をとれば盗作者が真っ先に疑われるようにと布陣を敷いたわけなのですが、
しかしやはり行動を起こされますか。


 さてさて話は変わり、盗作している人の本や言動、これらと、私のこれまで書き上げてきたもの、
お暇な方はぜひ比較してみてくださいな。
私がいまだ気づいていない彼の盗作がまだまだでてくるでしょうからね。

私はね、これまで、散々悩んできました、盗作されているのに名指しができない、
名指しをすれば私の方が反対に盗作をしたのじゃないかとあらぬ矛先がえをしてくるやもしれぬ、
だからいつどの日記にも名指しはするつもりはない、許しているからもう二度とやらないでほしい、
等々と、なまぬるい事ばかりを私は綴り、益々盗作をしてきた彼らは安心してそれらをし続けてきた。

最近はアクセス統計のグラフから、とある掲示板からのアクセスが急激に増えてきておるようで、
世間が注目しているのはもうこれで明らかで、
盗作者が誰なのかを世間が気づくのはもう時間の問題と思います。

ですが、いいですか、今のところは最低限、作詞の参考に軽い気持ちでパクられたと思われる歌手や、
これまでされたのが1度程度だろうと今のところ私が思う作家については追求してゆく気持ちはこれまでどおりありません。

しかし、あの盗作常習者はともかく(確信犯)、他の作家までもの何人かまでもが盗作をしていたのか?
当然そういう疑問はあるでしょう、でもこれは、楽屋裏ページにも書きましたが、盗作をされた事を明かしてしまったがゆえの、
なら私も俺もの結果なのかもしれません。
しかも私は盗作に気づいても、許しているからもう二度とはしないほしいなどと生ぬるい事を日記で言うばかりで、
彼らにしてみればいい鴨ネギだったのでしょう。

それと、盗作というのは、それらをする人々にとって、自分でも使いたいと思う魅力あるものでなければ食指はそそらないと判断しているわけでして、
そこでですよ、私がこれまで日記内の原稿下書き、楽屋裏、清書して本宅サイトにUPしてきた原稿、
これらをお読み頂き、それら作家たちにとって自分のもののフリをしてでも使いたがる位に魅力あるものなのか、
ぜひとも皆様に判断を仰ぎたいと思うわけであります。


 さてさて話はまたまた変わり、こうして世間が盗作問題で注目をするようになった以上は、
もう彼らは私の書いたものから拾ってゆく事は実質今後はできないわけでありますから、
またも盗作されるのではと思いながら書き控えてきていた部分を、今後はここ日記内やあちこちでバンバン書いていきましょうか。

ただ、私は、去年の9月いっぱいで働くのを休止しておりまして、
生活のためにしばらく働こうと思案しております。
まるまる3ヶ月ああたはナニしてたん? そう思いますよね?
9月、この1ヶ月間だけの約束でとある職場にいたんですが、
私が職場で扱うものは綿状のもので、それを頭上に貼り付けてゆく作業がありました。
私、これまで公にしてきませんでしたが、M・Mという人物にだけは話してはあるのですが、
アレルギー性気管支喘息なんですわ。
普段はなんともありません、ですが、ほこりっぽい場所で生活すると症状が出始める。
なのでここしばらくは安静のためお休みをしていたと。
ですがそろそろまた働きますわ。
昨日、バイクにロックをかけられてしまったように、私の居所は既に漏れていますし、
まあなんとか頑張って今度こそは居所を知られないように努めてみませうか。


あ、それとですね、私が盗作をされていたこれらの件について、応援なり批判なりなんでもご意見を承りたいと思うところでありまして、
本宅サイトにはアンケートをおいてあるのはもうご存知ですよね?
あのアンケート経由でぜひお手紙をお願いしたいと思います。
私のメアドはあるにはありますが、スパムが多いのでたいてい一括ゴミ箱行きなんですよ、
アンケート経由で私にメールをされる場合にはフィルタでちゃんと選別されるんで問題なく読めるんです。
ご面倒かもしれませんが、私宛のメールは 本宅サイトに設けたアンケートからお願いをします。

 私宛のメールはこちらアンケートからどうぞ


私が気づいた盗作箇所以外をもし発見された場合にもぜひぜひその箇所をお知らせ頂きたいです。
(書籍タイトルと盗作の内容、何ページ目なのかを文の先頭に添えてください。)
宜しくお願い致します。








加筆 時刻はAM6:00

 中島みゆきの最新曲、 いいね、
あ、こんな事書くと、パクってそうな歌手は中島みゆきなのかとか勘違いされたら困るのではっきりいいます、
違いますので。




 「宙船」、宙に舞う船と書いて、そらふね。

私も、私が消えて喜ぶ者に、私の書き上げたオールを任せない。





2007/1/3

 この20ページめはなんだか読みづらくなってきましたね、
なので、暇な時間をみつけたら読みやすくまとめて、新規20ページとでもし、
これまでのこの20ページめをOLDとして新規20ページ内にリンクするような形で整理しようかと思案中です。

 それとですね、今日は以前に書いた裏日記のアドレスをここに載せておきます。

 http://cgi.osk.3web.ne.jp/~lovenet/tubakikaoru/20060809.html


 さて、最近またも盗作関連についてこうして書いているわけですが、昨日もお伝えしましたように、
盗作を発見された場合はアンケート経由メールでぜひお願いします、
これまで私が気づけなかった新たな盗作箇所が出てきましたなら、これからはばんばんそれらをサイト内で公開してゆきますので。




 マスコミ、メディア関係者様へ
私の盗作されたこの件につきましては、雑誌、新聞、ラジオ、テレビ、等々、個人を除く公共性の高い媒体でありましたなら公開は構いません、
ですが私自身はどれだけ問われましても盗作者の名前を私自身から述べる事は基本的にありません。
ですので、私の原稿、日記、楽屋裏等、と、誰それの本とを比較し、盗作をしているのは誰なのかは、
各メディア様のご判断にお任せを致します。 要するに盗作者の名前につきまして私は一切関知を致しません。
それと、私の文の盗作をされたであろう箇所やそれらの日時を記事等にされる事は構いませんが、
私が指す所の本宅サイトの原稿をフルに載せたり、盗作とは関係のない日記部分等を記事等で紹介する事は一切認めません。
また、各メディア様におきまして、記事等で紹介されます場合には、読者や聴者、視聴者様の抱く真偽の疑問を各自にて判断も出来ますように
必ずソース元のアドレスを明記してください。
また、マスコミ、メディア様におきまして、この一連の盗作について記事等でご紹介をされます場合には、
必ず、事後でも構いませんのでその旨を記事内容等と一緒に アンケートメール経由でお知らせを下さいますようお願い申し上げます。

私宛のメールはこちらアンケートからどうぞ










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